FM三重『ウィークエンドカフェ』2015年12月19日放送

今回のお客さまは、紀宝町にある『熊野川体感塾』、代表の谷上嘉一さんです。「川舟を通じて1人でも多くの人に熊野川雄大な自然に触れてもらい川と森の大切さをわかってもらえれば・・・」
この想いで体感塾を立ち上げました。
小さな頃から舟に乗るのが大好きで当時、周りの大人たちから船頭さんとしての手ほどきも受けていたそうです。
そして、自分自身で川舟づくりも始めました。
h3>

12-19-2

0年前に途絶えた『三反帆』の川舟を9年前に復活

私の住んでいる集落は御杖という場所。
三重県側は北御杖、川の向こうは南御杖というところです。

昔から熊野川は、三反帆をかけて上り下りをしていました。
40年ほど途絶えていましたが、地域づくりに活用できないかと復活させました。
『三反帆』は、熊野川独特の風をうまく利用した川舟。
今日のように天気が良いと、必ず山から海に向かって風が吹き、昼前になると海水温の上昇に伴って、今度は海から山にかけて風が吹くのです。
上り下りにその風を利用していたんですね。

平成19年に『熊野川体感塾』を立ち上げました。
その前に3年間ほど、熊野川が世界遺産になるということで東紀州全体を、県と地元自治体、私たち地元民で、地域の活用方法を議論する場があったんです。
その時に熊野川そのものや川沿いの古道の調査などを行い、地域の文化として木造船も残しておきたい、などの思いから仲間たちを集め『熊野川体感塾』を立ち上げました。
その結果、メディアの反応がとても良く、テレビだけで75〜6回も来てくださいました。
こういった帆をかけた舟で、しかも上り下りするというのはあまりないので、インパクトが強かったんでしょうね。
実はこれらの舟は、ほとんどすべて私が造りました。
もともとは定年まで、地元の工場でサラリーマンをしていたんです。
舟自体はかれこれ40年以上作っていましたが、私には師匠がいなかったので、まったくの独学で、休みの日などを利用して舟を作っていました。
設計図もありませんでしたが、幼少の頃から生活の道具として川舟を使っていたので、材質や形に関しては、体験上の知識がありました。
それから人よりもほんの少し器用だったのかもしれませんね。
『熊野川体感塾』を立ち上げた頃は、10人ほどの船大工たちが熊野川流域にいましたが、高齢化が進んだ今は、私だけに成ってしまいました。
しかし
この文化と技術を残していきたいとの願いを受け、現在、3人ほど船大工としての技術を勉強してくれています。

 

12-19-3

作りに終わりはない

作った船の数は何十艘だと思います。
速玉大社で行われる御船祭の舟も9艘ありますが、これも私が作っています。
練習用の舟も入れますと、もっと多くなりますね。
『御船祭』は一説によると1400年以上歴史があると言われています。
今までずっと脈々と続いてきたんですね。
今年は千葉県から注文を受け、木造船を作って送ったりもしました。
あと、珍しいものといえば、熱田神宮に納めた舟もあります。
使用されているのは結婚式場。
舟2艘を並べまして、ガラス張りのステージを組んで、定位置に納めてあります。
けっこう活用されているようですね。
しかし、何艘作っていても、いまだに満足できません。
材質を見極めることと、曲線が難しいといいますか。
ぜんぶアールを持っていますからね。
曲げ具合いというかひねり具合いというか・・・曲げてひねることで形が崩れなくなるんです。
曲げたままだと、年数が経つと頭が下がってしまったりするので、そのあたりの力のかけ具合が勘どころですね。

 

舟の特徴

熊野川の舟は80%くらい熊野杉、あとはヒノキとケヤキとカシ、4種類使っています。
杉は軽いし水にもよくなじむので、舟に向いているんです。
ヒノキで主要部分を作ると、割れてしまったりするんです。
まあ、大きな船だと槇を使ったりするところもありますけど。
しかし、全国的に見ても杉を使っているところが多いですね。
御存知の通り、熊野川は激流もあり、暴れ川としても有名です。
それを乗り切るために、何百年という歴史の中で、失敗を繰り返しながら、今の形に仕上がったのだと思います。
川舟の特徴としては、前が思いっきり反り返っていまして高く上がっています。
これはどういう場所でも舟を着けられるようにということと、前の方で操船しやすいということで、さまざまな工夫が凝らされています。
だから何十年も見ていますが、ここの舟が転覆したのは見たことがありません。
その代わり、荷物の積み過ぎで沈没することはしょっちゅうありました(笑)。

 

12-19-4

船に乗っていると神宿る町・熊野を実感できる

三反帆に乗っていると、、本当にのどかというか、まさに昔の田舎というような雰囲気を味わっていただけます。
みなさん、感動しています。
昔から上皇がたくさん来られ、川そのものが世界遺産になっているので、お客さんには「上皇になったつもりでふんぞり返ってくださいよ」と言っているんですよ。
岩場などの周りの風景にやはり、『神の宿る地、神秘の熊野』を体感されるようです。
一番最初に訪れた宇多上皇という人は、延喜7年といいますから、1000年以上前になってくるわけですよ。
それだけの歴史が脈々と続いてきた、そういう土地柄なんです。
また、祈りの道でもあります。
そのあたりも来てくださったお客さんに感じて欲しいですね。

大きな岩のところは『お供の渡し場』と言いまして、かつての参詣のみなさんが、和歌山県から三重県に、渡し船に乗って渡った場所なんですよ。
非常に古い渡し場跡ですね。
岩そのものは『畳石』と呼んでいます。
上皇たちが来ていた頃は、和歌山県側には道がなかったそうなんです。
ですから、三重県側から本宮大社を目指して歩いたそうです。
その道中には薬師堂などもあります。

今、一番残念なのは、川が汚れてしまったことです。
魚も激減してしまい、鮎も100分の1くらいに減ってしまい、ほとんど取れなくなりました。